戦争体験者の肉声をポッドキャスト(インターネットラジオ)に
残すプロジェクト「戦争の記憶」、3人目のインタビューは早志百合子さん(77)。

広島で被ばくした彼女の話で最も印象的だったのは、
原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission、ABCC)のこと。
ABCCは、原爆の傷害の実態を記録するために原爆投下直後にアメリカが設置した機関だ。

調査目的の機関なので、被ばく者の治療に一切あたることはなかったという。
今夏改めて読み直した『はだしのゲン』でそのことは知っていたが、
彼女の口から出た言葉に僕は言葉を失った。

「ABCCに呼び出されたのは確か中学生か高校生の頃。
ほぼ裸の上に、薄い白い服1枚を着せられ、私はガラス貼りの部屋に通されました。
そこにいたのは何人ものアメリカ人や日本人の医師、インターンの若い医師たち。
血をいっぱい抜かれて…まるでモルモットのよう。
乙女心に本当に屈辱的でした。彼らに人の心があるとはとても思えなかった」
その後「ABCCに呼び出されても行かなかった」という早志さんに、
僕は当然だと思ったが彼女は静かに続けた。
「でもね、実は最近はまた行っているのよ」

「え!? ABCCにですか?」
耳を疑った。ABCCがまだ存在していること。

そしてなぜあれほど辱められ、その後拒み続けていた機関に
彼女は協力できるのか、ということに。

早志さんはすぐに答えてくれた。
「ABCCはその後日本の機関と一緒になったの」

1975年、ABCCと厚生省国立予防衛生研究所(予研)を再編し、
日米共同出資運営方式の財団法人放射線影響研究所(RERF)に改組されたという事実を、
恥ずかしながら僕は知らなかった。

「ABCCのときと対応は全く違って、いまは本当にすべてが丁寧。
2年に1回連絡が来て、ついこの前も行きました」

それにしても……してもだ。
僕だったら昔そんなにつらい思いをさせられた記憶が
呼び起こされるところにはとうてい行けない。
その気持ちを正直に早志さんにぶつけてみた。

「でもね、彼らはずっと私たちのデータを継続的にとっているでしょ。
これはきっと世の中の役に立つのかなって、今は思えるようになってきたの。
チェルノブイリの時にも何かの参考になったらしいし、
今度の福島の事故でも何らかの役に立てればって」

早志さんは穏やかな顔でそう言った。

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あの日の辛い思い出を辛いままで終わらせず、
「人類のために自分ができること」に変えた彼女を前に、
僕は何も言葉を発することができなかった。

みんながこんな気持ちだったら、
世の中の戦争はきっと今よりもっと少なくなるのに……

そんな心の声を聞きながら、僕は彼女の家を後にした。

こちらから全インタビューをお聴きいただけます。
■「戦争の記憶」Webサイト

★写真に映っている本は、彼女が被ばくした37人から寄せられた手記を一冊にまとめた
「『原爆の子』その後」
広島で被爆した子ども105人の作文を集め、原爆投下の6年後に出版された
「原爆の子」の続編で、平和な時代への感謝や放射線の恐怖、
被爆者への差別に直面した思いがつづられている。

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